ペルーにあるマチュ・ピチュ遺跡と言えば、15世紀に建てられたものであり、アンデス山脈にあるウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2430メートルの高さ)に位置しています。この遺跡が存在する意図が不明な点やその雄大な絶景が楽しめるなどの理由から毎年何十万人もの人を集める観光スポットとなっています。そんな発見から100年以上経過したマチュ・ピチュですが、歴史学者の研究で本来の名前は「ワイナピチュ」であることが発覚したとのことです。
- The Ancient Inca Town Named Huayna Picchu: Ñawpa Pacha: Vol 42, No 1
- Historian says world has been getting Machu Picchu’s name wrong for past 100 years | The Independent
ペルー文化省のドナト・アマド・ゴンザレス氏とイリノイ大学で考古学の教授を務めるブライアン・S・バウアー氏が発表した論文で「1911年にこの遺跡を発見したアメリカの探検家:ハイラム・ビンガム3世のノートを再考察した結果、この遺跡の名前は『ワイナピチュ』という名前である可能性が非常に高い」と述べています。
マチュ・ピチュは国連機関であるユネスコによって、世界遺産に登録されており「インカ文明において、最も芸術でかつ建築であることから最も重要な有形資産の一つとされています。ユネスコによると、この遺跡は15世紀に建設されましたが、16世紀にスペイン人に征服された際に放棄されることになったそうです。
そして、ビンガム3世が1911年にマチュ・ピチュに訪れたことがきっかけとなって、遺跡の存在が外部に知られるようになりました。論文によると、インカ人はもともとマチュ・ピチュのことを近くの最も高い山の名前をとって「ワイナピチュ」と名付けていたとのこと。
実際、ビンガム3世が遺跡に訪れる7年前、1904年に出版された地図帳には遺跡の名前が「ワイナピチュ」と明記されていました。また、ビンガム3世も地主の息子から遺跡の名前が「ワイナピチュ」と呼ばれていることを聞いたというメモも持っていたことも確認されていました。